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広告代理店勤務Aのメディア考、または現実逃避

  • 2016-11-01

ホームページにしても印刷にしてもメディアというか器はもう無料みたいなものになりつつあります。 これまでは器自体にも価値があったのに、一気にその価値は平たくなってしまったかのようです。 宣伝については個人のできることが、専門業者がこれまでしていたことを上回っている部分もあります。 とにかく誰もがどんどん参戦できるしくみが現れて、新しい可能性やら、不向きなものやらがなんでもフラットに出現している状態です。しかし、土俵の敷居が下がったので、一見フラットなようにも見えるのですが、良くみるとそうとも言えません。 メディアに乗って宣伝される商品でも言葉でもイメージでもなんでも良いのですが、売れるものはさらに売れ、売れないものはあっと言う間に姿を消してしまいます。 コンテンツが売上につながるかどうかだけが価値基準になってしまっているようにも感じます。 ですが、その反面、これまで売れないと思われていたものも価値が多様化して、個別に存在できる世界になってきてもいるという二極化がおきているような感じもします。 さらに解釈を二極化の枠から飛び出して言うならば、相対的な価値が無限に影響しあって何でも価値があるようにも見えるし、そうでもないようにも見える。こうなるとやはり基準は売れるかどうかだけなのかもしれません。 無法地帯・・・このままでは自分の立ち位置が判らなくなってしまう^^; そこでやはり、情報を扱ったり、キュレートしたり、宣伝していくプロセスはどうあるべきかに立ち返ってみる必要があるのじゃないかと思うわけです。 ビジネスの観点からすれば、売れないと意味が無いので、顧客本位の価値観、個人へどれだけ訴求できるかだけが重要になってくるわけですけど、そうするとどれもこれも似たり寄ったりでハリウッド映画みたいに顧客に媚びつつ売ろうとする戦略が透けて興ざめしてしまいます。そうなると今度は、そういった価値観に基づいていない商品(商品という言葉自体が矛盾している?)、デザインや意見、芸術とか主張とかが輝きだすというパラドクスが生まれる。反転がおきた瞬間に追いかけていたものはゴミに変わってしまうわけです。しかし、またそういった光もまた、花火が燃え尽きるように、消費されてしまったり、中身は空だけどそっくりなものが町中を闊歩するというわけです。 でもそういった消費の怪物みたいなものにも負けないエバーグリーンなものもある訳です。 そういった代物は、やはり何か人間の根源に訴えかけるものなのか、技術や信念や情熱みたいなものが、売ろうとしている何かとは別次元で行われた結果生まれたものじゃないかと思うわけです。 今はいろいろ簡単に出来てしまうので、そうやって生まれたものの消費スピードは早く、ごみが大量生産されているようにも感じます。便利なことが人間の能力を奪っているとも言えるし、簡単にできることの中からは相対的な価値から抜け出してしまうような代物が生まれにくいようにも思えます。 これは顧客の立場に当てはめても同じで、本当に欲しいものは、不便だったり簡単に探せないところにあって、媚びなくても勝手に探すものだったりします。 普段は売上を追いかけて仕事をしている訳ですが、実は本当に売上を上げるというのは、普段考えていることとは逆のところにあるのかもしれません。そういった視点というか、プロセスに目を向けるというか、価値観みたいなものを養いたいなと思う訳なのですが・・・ 売上無いと怒られてしまうな・・・^^;


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